シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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コンタクトトレースアプリが生まれない(規制緩和フェーズ2)

4月30日の私の日記 を読むと、シリコンバレーの2大テクジャイアントであるAppleとGoogleが協力して開発した感染追跡システムのベータ版のリリースについて記載されている。

そう、忘れている人のために説明すると、AppleとGoogleはシリコンバレーが3月中旬にロックダウンすると、その約1ヶ月後には、それぞれのOSにBluetoothシグナルを使ってお互いの距離を測ることができる機能を構築した。もちろん、感染者が判明した時の濃厚接触者を追跡するコンタクトトレースのためである。

その早い動きに、シリコンバレーの住人で一応技術者の端っこにおいてもらっている私は、さすがだなと、シリコンバレーを誇りに思ったし、ちょっとウキウキした気分を味わった。

しかしこの仕組みは、某専門家曰く、大切な部品がなくて使えない素敵なクリスマスプレゼントが届いたようなものだと評されている

問題は2つある。

1つ目は、プライバシーの問題だ。実はこの新しい仕組みの正体は電話どうしのBluethoothが互いにシグナルを読み合って距離を測るというものだ。OSに組み込まれたこの機能と2社から提供されている関連プログラムインタフェースやAPI使えば、一定期間の間に特定の距離に近づいた電話同士の履歴を保管して、陽性だと判断された感染者のトリガーにより、全ての濃厚感染者の電話に警告を送るようなアプリを開発することができる。しかし、この電話同士の履歴には、電話の持ち主のプライバシーに関する情報は一切公開されないことになっている。つまり、感染した人は自分が誰に警告を送っているのかはわからないし、警告を受け取った人も誰が警告を送ってきたのかはわからない。ただ、自分が一定期間内に感染者と濃厚接触したことだけが分かる仕組みなのだ。

それだけでも十分じゃないかと思うかもしれない。警告を受けとった個人には確かにそれだけで十分で、慌ててテストを受けに行けば良い。しかし、感染経路を断つためのコンタクトトレースとはそういうものではなくて、感染者が見つかった場合、その感染者の一定期間内の行動を調査することにより、彼から感染された人や場所だけではなく、彼に感染させた人や場所も見つけなくてはならない。そのように調査したデータを一つ一つをマップのように繋げて行くことで、感染経路を見つけ、クラスタを見つけ、あらゆる感染経路を断つのが目的だ。つまり感染経路をコントロールしようとしている市や州政府が、濃厚接触者がどこの誰かという情報を手に入れることができないこの仕組みは、コンタクトトレースの本来の目的には十分ではないのだ。

誤解のないように言っておくと、濃厚接触者が警告をもらって、接触したのがどこの誰かが全くわからないままでも、自らテストに受けに行けば、症状のない隠れ感染者をより多く見つけることができるので、この仕組みはその目的では十分に役にたつ。しかし、どこの誰から感染したのかわからないの曖昧な感染可能性集団が形成されるだけなので、コンタクトトレース自体はやっぱり手動でやらなくてはならなくなるのだ。

2つ目の問題点は、この仕組みそのものはOSに組み込まれているのだが、この仕組みを使って開発されるアプリは、市や州が開発して公開し、電話を持っている個人がそれをインストールする必要がある。個人による感染追跡システムに参加するという意思と自主的な行動が必要になるのだ。どんなに優れたアプリでも、州の人口の20%しかインストールしていなかったら、その機能はまったく意味がない。少なくとも人口の80%ぐらいが、市や州が開発した同じアプリを自ら電話にインストールして初めて機能するのだ。実際にアプリを作った州や市はあるらしいが、今のところ期待するような結果を出してはいない。そもそもどの程度の住民がインストールしているか怪しい状態らしい。

一昨日も書いたように、そもそも米国のエピデミックをでっち上げだと疑ったり、マスクをすることすら拒む人々がたくさんいる州では、そのようなアプリをインストールさせることはまずできない。このシステムに参加する全ての人間の間では、少なくとも一緒にパンデミックと戦おうという合意が必要だ。今の米国には、残念ながらそのようなコンセンサスがない。

4月、パンデミックが米国を遅い、ほぼ全州で程度の差はあれロックダウンが発生し、ニューヨークの感染爆発により多くの犠牲者を目の当たりして、最前線で戦う医療従事者の勇気を讃えて拍手を惜しまなかったあの頃は、米国は一つだった。完全ではなかったけれど、少なくとも、過半数の米国人はパンデミックと戦う用意があったと思う。

今は、米国は2つにも3つにも割れ、同一の認識もゴールも見つけられず、敵が誰なのか合意できず、協力するどころかむしろ互いを潰しあって、どこにも行けずに迷子になっているような気がする。

いやもしかしたら、全てが幻想で、パンデミックと戦おうという国民の合意は最初からなかったのかもしれない。

 

 

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