自粛疲れ (オレンジティア)
とても身に覚えがある記事を読んだ。自粛疲れについてだ。
現在、米国もヨーロッパも、秋の深まりにつれて感染者数と入院者数が右肩上がりで増え続けていて、再ロックダウンの懸念が心配されているわけだが、その原因の一部は自粛疲れにあるという。
自粛疲れとはなんだ?
パンデミックが一挙に拡大した春、ロックダウンに伴い、世界中で人々は自粛規制を守ろうとした。医療危機を回避するために、人々は可能な限り家の中で過ごそうとした。また、年老いた両親や祖父母を守るためにも、あえて会いに行かずにバーチャルミーティングで会話をしてきた家族もたくさんいた。しかし、7ヶ月という長期間におよんで、マスクの着用、ソーシャルディスタンスの適用、そして、パーティ開催などの自粛などの慣れない自己規制を続けているうちに、突然がっくりとタガが外れてしまう人々が出てきたらしい。家族に会うために飛行機の予約を取る人が増え始め、友人と小さなパーティを開く人も増え始めた。
あるアンケート結果によると、4月の時点で、84%の米国人が友人や家族との集まりを避けていると応えたのに、現時点では45%の人しか同じ回答をしない。なんとアンケートに応えた半分以上の人は、友人や家族と集まっていることがわかる。
彼らは疲れてしまったのだ。感染拡大防止に努めるための緊張感に疲れてしまった。変化のない繰り返しの生活に疲れてしまった。楽しみにすることのない生活に疲れてしまったのだ。なにか楽しみにすることが必要だと予定を立て始め、年配の人々にお、このまま家族に会えないで暮らすなら感染するリスクを取るほうがマシだと言う人も増えてきているらしい。
この鬱屈した倦怠感から逃れるために、家族や友人たちとの小さな集まりやパーティを開催する人たちが徐々に増え、それを追うように、米国でもヨーロッパでも感染者の数が増えてきている。
どんどん自粛が守られなくなっていく中で幸いなことに、マスクの着用だけは4月以降、順調に増え続けているのだが、実はこれは公的な場所の話であって、少人数で会う時はマスクを外しているという人の数も増えてきているのだ。このような小規模なミーティングやパーティが、今や感染拡大の舞台となっている。
私が身に覚えがあると書いたのは、実際に私も私の周りの人も、4月のロックダウン時にくらべて認識や緊張感が比べ物にならないほど緩んでいると感じるからだ。私自身は州政府のガイドラインを可能な限り守っているが、アウトドアの少人数の集まりが許可された後は、2週間おきに友人を数人バックヤードに招待して過ごしている。椅子を離しておいてマスクをしているけれど、コーヒーを飲む時は必然的にマスクは外す。2週間に1回程度数時間こうやって過ごすだけで、自粛疲れのストレスが少し減るのを感じる。近所の人たちの中には規制を完全に破る形の小規模なパーティを開催している人たちや、ディナーに友人を招待している人たちも見かけるようになった。
このまま、感謝祭やクリスマスに到達したら、自粛に疲弊してリスク感覚が狂っている人々の多くは、いつものように家族や友人とパーティを開いてしまうだろう。
4月、毎日のように医療関係者に感謝の意を表していた人々はどこに行ったのだろう。少なくとも今、米国の一部の地域では病院や医療施設が足りなくなりつつあり、医療関係者は寝る間も惜しんで感染者を助けるために働いている。しかし、4月のように、毎晩玄関に立って医療関係者のために拍手をしていた人々はもうどこにもいない。
いや、正確に言えば同じ人々はいるのだけれど、彼らは長引く自粛生活のために疲れ切って感覚が鈍り、あの頃のように、誰かに感謝するような心の余裕が失われてしまってきているのだ。
誰かが人々を鼓舞しなければ、なし崩し的に大規模な感染拡大を甘んじて受け入れる冬がやってくるだろう。