シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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信用できない社会と信用できる人々(ティア1)

数日前にコンタクトトレースについて書いたけれど、実はあれだけコンタクトトレースできているのは米国では珍しい。米国のほとんどの州において、コンタクトトレースは感染者に対して半分もできていないし、全くできていない州もあるくらいだ。

世界中でコンタクトトレースは感染拡大を早期に防ぐ有効な手段だと認められているというのに、なぜ米国でコンタクトトレースが進まないのだろうか。

大きな理由の一つは、コンタクトトレースの用意ができる前に、急激に感染が拡大し、とてつもない人数の感染者が出てしまったため、今更追いつかなということがある。特にウィルスの感染力を低く見積もっていた州においては、コンタクトトレースを用意しようとする努力もしていなかった。しかし、それなりにコンタトレースを必要な手段として用意していたカリフォルニア州ですら、感染拡大の凄まじさに、用意できたコンタクトトレーサーは、本来必要な数の半数に満たないと言われている。

しかし、数だけの問題かというと、実はそれだけでもないらしいのだ。たとえコンタクトトレース人員が十分いたとしても、十分なコンタクトトレースが米国でできるかどうかは非常に疑問らしい。なぜなら、人々がコンタクトトレースにあまり協力的ではないためだ。

米国の人々は個人情報漏えいに敏感だ。個人情報漏えいに起する犯罪が多いのも一つの理由だろう。個人の権利に敏感な人たちは、個人情報を聞かれたからといって、必ずしも答える義務があるわけではないことも知っている。例えば、たとえ社会を感染拡大から救うためだと言われても、レストランで食事をするために自分の個人情報をおいていってくれる人はいない。実はレストランに顧客リストがあれば、店で感染者が出た時に非常に有効なトレース手段となるのだが、この方法でトレースするのは絶対無理だ。

では、感染者からトレース情報を聞くのはどうだろう。日本であれば、お役所から「感染拡大を防ぐために過去2週間の行動と会った人たちの全ての連絡先を教えてください」と言われれば、たいていの人は教えるのではないかと思う。しかし、この国の場合、国民があまり政府組織や自治体を信用しない傾向があって、政府関係に対しても、誰かの個人情報を無断で渡すことに抵抗がある人は相当多いのではないかと思われる。

その上、たとえコンタクトトレーサーが貴重なトレース情報を手にいれたとしても、この国の人は知らない番号からかかってくる電話を基本信用しない。それだけ詐欺が多いということもある。そもそも、知らない人からの電話には出ない人も多い。政府の名前を出したところで、電話メッセージも詐欺じゃないかと考えられて無視される可能性は高い。それほどまでに、人々は電話を信用していないし、加えて政府も信用していない。

米国という国は面白い国だ。

この国を広く曖昧な視野で見ると、人々はとにかくいつもいろんなことを疑っている。マスメディアについても、あるニュースとその逆のニュースが異なる放送機関で報道されたりするので、どれを信用すればいいのか吟味しなくてはならない。家は留守にしていなくても鍵をかけるし、それでも足らずに防犯アラームを導入している家も多い。誰かが訪ねてきても、すぐにはドアを開けない。とにかく、誰であろうが、なんであろうが、よく知らないことは、ニュースだろうが役所だろうが信用できるものなどないと考えているようなところがある。結局、自分のことは自分で守らないとと言う発想になって、防御過多になる傾向がある。

しかし、この国をごく身近な視野で見ると、人々は親切で気さくだ。例えば、隣近所でちょっと足りない料理の材料をもらったりあげたりするのも、普通に行われているし、庭のフルーツだって余れば持ってきてくれる。道端で子供がレモネードスタンドをやれば、近所の人が買いに来てお金を払ってくれる。そこは過剰な疑心暗鬼とは無縁だ。いろんなことを信用できない人たちとは思えない、ごくごく平和で普通の生活がある。暮らしにくいのかと問われれば、実は全く暮らしにくくはない。

そんな相反する米国民の心理のブレは、今回のパンデミックにも影響を与えていて、とにかく対立するマスメディアは信用されない。政府の言うこともあまり信用できない。専門家の言うこともあまり信用できない。警察も信用できない。大統領の言うことは実際眉唾だ。この状態では、国民が協力して感染拡大を防ぎましょうといっても、あまりにも難しすぎる。

にも関わらず、知り合い同士であれば、むしろ感染するという疑いは急激に薄まって通常通りにパーティをしたり、イベントを開いたりして、それで感染が広まったりしている。

このような両側面が、この国をとてつもない感染大国にしてしまった1つの原因ような気がしてならない。

せめて国は国民を守ろうとしていると信じたいけれど、それを疑ってしまうのはとても残念なことだ。この国にいると、国って一体なんなんだろうなと考える機会がたくさんある。

 

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