シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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酒量と非社交的な生活(ロックダウン58日目・現時点の解除予定日まで残り18日)

*この日記でロックダウンと呼んでいる規制は正確にはShelter-in-PlaceまたはStay-at-Home(自宅避難)規制と呼ばれています。ロックダウンには広範囲の意味があり、緩い規制から厳しい規制にまで幅広く使われいます。

こうやって日記を書いていて特に興味深いのは、以前に書いた記事に関連したアップデートが後日見つかったときだ。

例えば、昨日ユナイテッドエアラインの乗客のツイッターについて書いた。その時点で、ユナイテッドは満席のフライトについてコメントを出していなかったが、明けて翌日の今日、ユナイテッドは新しいポリシーを発表した。それによると、搭乗する飛行機が満席に近い場合は、乗客は別の便を予約し直すか、または、フライトをキャンセルして旅行用のクレジットとしてキープできるようになった。これで、満席の飛行機に乗らなくて済むことにはなりそうだが、いずれにせよ空気の流れがない狭い空間に多くの人が長時間留まるという飛行機の根本的な性質は変えようがないので、ワクチンができるまでは人々は苦渋の選択をすることになる。

また、3日前、内部のスタッフの感染を受けて、ホワイトハウスがマスクをするようになったかどうか心配する日記を書いていたのだが、昨日、11日にホワイトハウスで主に執務が行われるウェストウィングのスタッフは全員マスクの着用が義務化された。2人の例外を除いては。大統領と副大統領である。なぜこの例外が必要なのかは謎のままだ。今や、大統領の支持者ですら、その過半数は大統領にマスクを着用してほしいと思っているという記事も書かれていた。

という具合に、日々、米国のニュースはダイナミックに動いているわけだが、今日はロックダウンに従って、そんなニュースを読みながら日々家で過ごしている人々の身近な生活を少し覗いてみよう。

実は私自身も気がついていたのだが、米国のアルコールの消費量が飛躍的に伸びているという。例えば4月11日の週のアルコールのオンラインセールスは、去年の同じ時期と比べて、実に378パーセント跳ね上がったというのだ。私も特に計算はしていないけれど、ロックダウン前の倍はお酒を飲む時間も量も増えたような気がする。

ロックダウンの前には週に2日ぐらい、主に週末に夕方から夜にかけてビールやワインを飲んでいたのだが、ロックダウンになってからというもの夕方、晩御飯を作りながらや食べながらお酒を空けることが多くなった。1つ目の理由は、夕方以降に車を運転して、誰かに会いに行ったり、ティーンエイジャーを送り迎えする必要が全くなくなったからだ。そして2つ目の理由は、単純に時間があるからである。

ロックダウン前に、ティーンエイジャーのためにドライブしたり、友人との社交に使っていた時間が全くなくなったので、仕事も家事も昼の間に完了できることが多くなった。そのため、夕方料理を始める頃には一杯飲める体制が整ってしまうのだ。また、以前は通勤していた家の者も在宅ワークになったため、飲もうと思えばいつでも飲める。以前は、自分だけ先に飲むのに感じていた後ろめたさもなくなり、誰にも遠慮することなくアルコールの蓋を開けることができるようになった。

という風に、私の酒量が増えた理由はいたってシンプルで、特にストレスが増えたわけでもなく、新しいストレスといえば主に増え続ける体重なわけだが、世間の酒量が増えた人たちの中には、もっと複雑な理由がある人もいる。私と同じようなシンプルな理由に加えて、ストレスが増えた人もいるし、スポーツや社交に費やす時間が減り退屈で飲んでしまう人や、一人暮らしで寂しくて飲んでしまう人もいるらしい。米国のアルコールの消費量の増え方に懸念を感じている専門家も多く、在宅ワークの間に飲み始めたり、時間を決めずに飲み始めることに警告があがっている。

特に一人暮らしの人たちの孤独は問題になっている。若い人たちだけではない。子供が独立した人。離婚をした人。米国には様々な理由、様々な年代で一人暮らしの人たちがいるのだ。彼らの多くは、ロックダウン前は一人暮らしの自由を謳歌していたのだが、ロックダウンにより友人と時間を過ごせなくなったことに加え、身近な人々や近所の人々が家族で過ごす光景を目にすることが多くなり、孤独感を深めているという。彼らが孤独を紛らわすためや、誰にも注意を受けないために、思いがけずたくさんのアルコールを摂取してしまうケースが憂慮されている。

話は少し横道にそれるが、ロックダウンの社会というのは、人々が社交の場から引き離された社会だ。以前なら、レストランやバーや友人の家に集まり、社交を楽しんでいた人々が、ロックダウンが発令されてから、家に閉じこもって映画を見たり、テレビを見たり、インターネットを見たり、ゲームをしたりして過ごしている。その生活は、ロックダウン以前の社会における、非社交的で地味なオタクの生活だ。以前からオタク生活だった人にとっては、この生活は苦痛ではないはずで、むしろ非社交的であるために馬鹿にされたり、責められたりこともなく、彼らのストレスは減っているかもしれない。実は私自身もこのオタク系生活自体は決して悪くないと思っている。

しかし、このオタク系生活は、人間の一般的な消費欲求や消費行動を減退させてしまうという側面があり、資本主義の経済活動には致命的である。そう考えてみると、社交的であることが高く評価される社会は、実は資本主義の必然であるのだなと思った。私たちは、社交的な生活が、充実した生活や豊かさ、総じては人間の幸福に繋がるような漠然としたイメージを持っているが、もしかしてマスコミやコマーシャルによって巧妙にマインド操作されているのかもしれないなと、ロックダウン生活を通してふと考えたしだいである。

 

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