シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

姉妹サイト「シリコンバレーをよむ」もぜひご訪問ください

SFの街へ(ロックダウン19日目・解除予定日まで残り30日)

ロックダウンの街は静かだ。とにかく不要不急な外出は禁止だから、食料品や医薬品の買い物以外は家にいる。車社会である米国では、外出規制による一番顕著な変化は、道路を走っている車の数が激減したことだ。その代わり、街路や家の前のドライブウェイに駐車されている動いていない車が増えた。

普段、なんだかんだと車が走っている住宅街の通りも滅多に車が走らなくなった。車の音のしない住宅地はいつもよりもずっとシンとしている。心地よい鳥のさえずりが響き、時々、並んだ家の中からの子供の笑い声や叫び声が聞こえてる。

空気が新鮮で空も緑もいつもよりも澄んでいる。車が走っていないからだ。街路樹や庭の桜がちらちらと花びらを落とし、綺麗に整った庭先ではカリフォルニアポピーの艶やかなオレンジ色をはじめ沢山の美しい花が揺れている。

ロックダウンが始まった最初の数日は、気温が低かったこともあり、街路に人がいなかったので、その風景はまるでSF映画のようだった。あっちの通りも、こっちの通りも、美しい庭と動かない車と空っぽな道だけがあって、道の真ん中にたたずんでいると、その非現実さにため息がでた。

しかし、数日経つと、人々は家から出てくるようなった。出かけるのではない。出てくるのである。ロックダウン規制では、運動のための近所の散歩は許可されている。家に閉じこもっていた人々は、天気が良くなるにつれて、外に出て散歩をしたり、自転車に乗って運動をするようになった。普段はジムで運動していて、野外には出ないような人たちも、ジムも営業停止になってしまったこの状況下の中、散歩やジョギングを始めたのだ。

同じ家に住んでいない人間とは1.8m以上離れていなくてはいけないので、散歩をする人々は歩道を譲り合う。近くですれ違わないように、お互いに目で挨拶をしながら、道の右側に行ったり、左側に行ったりを繰り返す。車があまり走っていないので、普段なら危ない道路の横断も安全だ。

ロックダウンの街では、家族だけが一緒に歩きながら会話ができる。そんな小さな散歩グループがお互いに近づきすぎないようにしながら、ポツリポツリとあちらこちらで歩いている。こんなに沢山の人たちが住宅地を散歩しているのを見るのは、米国では稀なことだ。

暖かい太陽と澄んだ青空の下、シリコンバレー郊外の住宅地は近年で一番と言えるほど平和で静かで実にのどかだ。

しかし、私たちが直接目にしないところで、感染者は何千人、死亡者は何百人も増え続け、医療関係者や政策関係者が寝る間も惜しんで戦っているというのは、なんて非現実的なんだろう。

私は昔、第二次世界大戦で戦場にならなかった米国は、戦争当時はどういう感じだったのだろうと考えたことがある。その時は全く想像できなかったのだが、今は、少し理解できるような気がする。きっと、平和そのものの生活の中で、先行きの不透明感や不安、敵への怒りを抱え、前線の兵士たちの無事を祈って暮らしていた。そんな感じだったのだと思う。今の私たちが感じているみたいに。

ただ、私たちの敵は見えない。そして、この戦いでは米国は戦場になってしまっている。

 

明日は世界各地でなぜか起きてしまう買い占めについて、シリコンバレーの現状を記録する。

 

PVアクセスランキング にほんブログ村