シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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感染者が増えているのに生活が普通に戻っていく...(規制緩和フェーズ2)

3月中旬のロックダウンを受けて3月末からこの日記を始めてから、一昨日と昨日と2日続けて休んだのは初めてだ。その理由は明確で、単純に仕事が忙しい。

そもそもこの日記を始めたきっかけは、ロックダウンとはあまり関係のなさそうな私のビジネスが、思ったよりも遠くまで広がり続ける爆風をくらって、仕事がびっくりするほど減ったことにある。その上、外に出て用を足すこともなくなり、友人と出歩くこともなくなり、家の中で過ごす有り余る時間を外界へのアウトプットに使ってみようかなと思ったことだった。

6月になりロックダウン規制は徐々に緩和され始めたが、私自身は相変わらず散歩と食料品の買い物以外は外に出ていない。規制が緩和されてきたとはいえ、感染者は増え続けている現状では、たとえマスクをしていてもショッピングや外食を楽しむ気にあまりなれないし、友人とも今の規制緩和状態で一緒にできることはあまりない。

しかし、幸運なことに仕事は戻ってきたのである。ロックダウンとはあまり関係ない業界なのに、やはり社会の動きが止まれば仕事は止まり、社会が動き出せば仕事も動き出すのだなと実感した。これまで溜まっていた仕事がぞろぞろぞろぞろと緩慢な動きながらも列を作り始めた。

これは喜ぶべきことなのだけれど、諸手を挙げて喜べない事情がある。ビジネスが凍りついてしまった3ヶ月の間に、ただでさえ少ない我が社のワークフォースが減ってしまったのだ。優秀なワークフォースは、どんなにビジネスが凍っていても良い仕事の申し出があるもの。うちの会社には引き止めるような力もないし、自分のビジネスから離れた視点からみれば、優秀な人材に良い申し出があるならば、ぜひチャンスを生かしてキャリアアップを目指して欲しい。なので、快く送り出してしまった。

ワークフォース減少の痛手をおった直後に、タイミングを見計らうように仕事が増え始めた。いつもお手伝いをお願いする外注先にすがってみると、彼らのところにはロックダウンの影響が残っていてまったく仕事が入っていなかったので、これ幸いと外注をかき集めて仕事を進めることはできる。できるが、やはり失ったもののインパクトは避けられない。右でこれやって、左であれをやるような日々が始まった。

実際のところビジネスは確実に動きだしている。昨日用事があってオフィスに行ったのだが、小さいビジネスが寄り集まっているオフィスビルの駐車場は、数ヶ月ガラガラだったのに、昨日はほぼ満車状態だった。空っぽだった建物のそこここに人を見かけるし、話し声も聞こえる。建物にいる間に6人とすれ違ったのだが、その半分はマスクをしていなかった。まるで、パンデミック前の生活が戻ってきたかのようだった。

しかし、それは錯覚だ。仕事が通常モードに戻ったからといって、ウィルスが消えたわけではない。

データをみれば感染者も死者も確実に増えている。特に1ヶ月以上低く抑えれられていたシリコンバレーのあるサンタクララ郡の感染者が大きく増加しているのが痛い。ずっと減り続けていた入院患者数とICU使用者数もゆっくりとはいえ増加傾向をみせだした。6月1日の規制緩和から3週間、ちょうど緩和が生活に浸透した影響が出始めるこころだ。規制緩和は確実に抑えられていた感染を再び広げ始めている。

このような状況なのだが、人々は気分を引き締めるどころか、むしろ規制で緩和されている以上に気分を緩和させている。オフィスビルでマスクをしていない人がいる。住宅地を散歩すれば、若者たちが集まっている。私が見ているのはほんの一部に過ぎず、ダウンタウンに行けばさらに緩んでいる光景があるのだろう。

先週の土曜日にオクラホマであったトランプ大統領の選挙運動の一環であるイベントの映像では、その錯覚が特に顕著だった。何千人の支持者が室内でマスクをせずに集まり、ワーワーと拍手喝采をしていた。彼らにとってはパンデミックはすでに過去のものらしい。

3月中旬と同じぐらいの新規感染者数が出ていても、あの頃は怯えて規制を守っていた人たちが、今は緩和された規制さえ守れなくなってきている。以前の好景気と自由な生活に戻りたい願望が、パンデミックへの不安をうわまってきている。世論はどうしても希望的観測に傾きがちだ。どんなに科学者やメディアが、その危険性を訴えても、捉えどころのない大多数の米国の世論は楽観論に耳を傾け着実に以前の生活に戻ろうとしている。

唯一、世界で最も悲壮な痛手を受けたニューヨークとニュージャージは未だに厳しい態度を崩していない。痛手が深ければ深いほど、人は多くのものを学ぶ。深い痛手を追わなかったカリフォルニアをはじめとしたその他の州は、未だ学習中だ。

体験しなくては学べないというのは、残念ながら子供に対する教育理念だけではないらしい。その体験がするべきではないものであっても。

 

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