シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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若者に広がる感染(規制緩和フェーズ2・次の緩和レベルまで残り5日)

薄々そんなこともあるだろうと思っていたので、特にショックを受けたわけではないが、じゃあどうすればいいんだと頭を抱えるのが若者の間で広がっている感染である。

今日発表された新しいデータによると、新たに感染が報告された人々の44%が35歳以下の若者であった。先月のデータでは、この世代の感染者は全体の29%にすぎなかったのにである。今や感染者の中で一番人数が多いグループを構成しているのは18歳から35歳の世代である。同時に17歳以下の感染者も急激に増えている。

この結果に驚かない理由は、デモンストレーションがあったからではない。感染者数に対するデモンストレーションの影響が明確になるには、もう少し時間を置かなくてはならい。それではなぜ驚かないのかといえば、答えは簡単だ。昼間、少しでも賑やかなところに行けば、若い人たちがパンデミック以前と全く同じように過ごしている姿を目にするからである。

くの若い人たちは、ソーシャルディスタンスが意識的にも無意識的にも守れない。例えば、小さな子供を複数抱えた若い夫婦にとって、ロックダウンはまさに地獄の勧告ようなものだっただろう。小さな子供にはソーシャルディスタンスという概念をわからせることはできないため、いつどこで友達に会うかわからない街角で遊ばせるのは危険だ。だが、同時に小さな子供たちを友達も呼ばすに何週間も家に閉じ込めて置くこともできない。よって、育児にヘトヘトになった親たちは、無念を感じながらも、子供たちを連れて公園に街角にカフェに出現することになった。

ティーンエイジャーの行動はもう一つの明確な原因だ。とにかくティーンエイジャーが街を歩いている。ある者は自転車で、ある者はスケートボードで、ある者は徒歩で。しかしそのどれにも共通なのは、彼らは一人ではないとうことだ。友達数人で集まって楽しげに時間を過ごしている。ティーンエイジャーが自宅で親兄弟とだけ顔を合わせて何ヶ月も過ごすことは、一部のティーンには可能でも、大部分のティーンにはできない相談らしい。彼らは親の言うことを聞かずに外に出て行ってしまうし、友人とつるんでしまうし、しまいには親もこればかりはしょうがないと目を瞑ってしまう。

しかし、その代償として若者の間には確実に感染者が増えている。多くの若者たちは、自分たちは気をつけているし、体調も悪くないし、大丈夫だと思っている。そして、事実彼らのほとんどは感染しても大丈夫なのである。

問題は彼らの体調ではないのだ。ある日友達と過ごした若者が、別の日に別の友達と過ごしてりする。彼の兄弟もそれぞれの友達と過ごして帰宅する。今日一緒に過ごした友達は、昨日は別の友達と過ごしていたかもしれない。そして、その友達の姉妹はまたそれぞれの友達と過ごしていたかもしれない。

このように視界を広げていくと、網の目のように入り組んだコンタクトネットワークが若者の周りを取り巻いて広がって行くのがわかる。そのどこかから感染が入りこんでくれば、このネットワークを伝播して知らないうちにネットワーク上の誰にでもたどり着けることは十分考えられる。

しかし、彼らは若く免疫力が高い。症状はほぼ出ないかもしれないし、出たとしても深刻にならないことが通常だ。でも、それは彼らが感染させないことを意味していない。彼らは、外から家の中にウィルスを持ち込み、それによって父母や祖父母にリスクを与える可能性について、どこまで理解しているだろう。

4月の初旬感染の第1波と言われる時期に読んだ記事で辛いものがあった。3月の中旬、ロックダウンの直前ごろ、感染拡大のニュースを知っていたにも関わらず、あまり深刻に受け取らずバーに友達と飲みに行ったりしていた男性の話である。ある朝、風邪のような症状が出て念のために部屋に閉じこもって過ごしたが、数日後一緒に住んでいた父親が同じ症状を訴えだした。男性は数日で回復したが、父親の症状は悪化するばかりで、とうとう病院に行くことになった。病院に行く前に父親は、息子に母親を頼むと言い残したそうだ。そして、病院のベッドから幾度となく電話をして、良い人生だったと、良い息子を持ったと伝えてきたそうだ。父親は回復は叶わずそのまま亡くなった。この男性は、自分の不注意な行動が父親の死の原因を作ってしまった罪悪感から抜け出すことができない。この罪悪感は一生消えることはない。

死は身近に感じるまでは、捉えどころのない、よくわからないものだ。特に若い人にとっては、縁がない実体感のないものであることが多い。しかし、一旦死に直面すれば、それは何時でも誰にでも起こりうるし、人はびっくりするほど呆気なく命を落とすことができることに気がつくだろう。それが家族であればなおさらで、その原因が自分であれば一生消えない心の傷となるかもしれない。

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