シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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スーパースプレッディングを回避する(規制緩和フェーズ2)

今日は、米国にとって特別な独立記念日だけれど、花火を中心に主だったイベントは開催されない。少なくともカリフォルニア州では禁止されている。米国は再び感染拡大の危機にあり、多くの政治家、専門家、メディアが、感染拡大を回避するために、人々に可能な限り家で過ごし、パーティなども行わないように呼びかけている。

カリフォルニア民の多くがこの呼びかけに応えてくれていると信じたいが、こればかりは全く予想できない。そもそも、このような呼びかけに素直に応えてくれる人々ばかりならば、現在の感染拡大は、少なくとも規制緩和が厳しかったカリフォルニアでは発生しなかったはずなのに、実際には発生しているからだ。

スーパースプレッディングという言葉がある。スーパースプレッダーと共に使われる言葉だが、スーパースプレッダーは感染症において通常考えられる以上の数の二次感染を引き起こす人のことをさし、スーパースプレッディングは、そのような現象をさす。感染症で感染爆発を回避するには、この現象を起こさないようにすることが重要だ。

覚えておかなくてはいけないことは、たくさんの二次感染を引き起こした人物を「悪者」扱いするのは間違っているということだ。なぜなら、今回のパンデミックを引き起こしているウィルスの最大の武器は、症状が出ない、または、まだ症状が出ていない状態の感染者を媒体に感染が広がることなのだ。つまり、今、元気でピンピンしている私でも、私の背後でゲームに興じているティーンエイジャーでも、誰でも自分が知らない間にスーパースプレッダーになる可能性がある。

ということは、同時に、誰もが自分がスーパースプレッダーになる可能性があると理解すれば、個人の行動次第でスーパースプレッディング現象を起こさないことができるということだ。皆が自分は感染しているという仮定で行動すれば、誰もスーパースプレッダーになることはない。つまり、自分が感染しないための行動ではなくて、自分が感染させないための行動をとることが必要となる。公衆の場でマスクをするのも、ソーシャルディスタンスを保つのも、手を洗うのも、人が密集する場所に行かないのも、自分が感染しないためではなくて、自分から感染させないためだと捉えた方が良い。そうすれば、ほとんどのスーパースプレッダー現象は回避可能なのだ。

スーパースプレッディングイベントという言葉もある。スーパースプレッディング現象が起こりやすいイベントのことだ。バー、ナイトクラブでの社交、ウェイディングパーティや誕生日パーティのようにたくさんの人が集まる催し、教会でのコーラス、ジムでのエクササイズなどがあげられる。

これらの共通点はなんなのか?人が密集した場所で、人々が通常よりも息をたくさんはいていることだ。バーやナイトクラブで盛り上がれば、声を大きくしなければ会話ができない。パーティでも同じだ。その場でミュージシャンがライブをおこなれば、さらにはかれる息が多くなる。教会でのコーラスも通常よりもたくさんの息がはかれる。そして、ジムでのエクササイズでは当然息が荒くなる。

ジムといえば興味深いデータを見つけた。韓国のジムのインストラクターがズンバのクラスで112人の感染者を出したスーパースブレッドイベントがあるのだが、同じインストラクターは同じ時期に、息があまり上がらない筋トレ系のコアエクササイズとヨガも教えていたのだが、こちらのクラスでは誰も感染者が出なかった。つまり、スーパスプレッド現象は、スーパースプレッダーの存在よりも、スーパースプレッドイベントの存在の方が、より根本的な問題であるらしい。

ここまでわかっているのだから、感染をとめられないのはおかしな話だ。科学的には十分な資料が出ている。あとは判明した数々の事柄を、政府、ビジネス、そして個人が毎日の生活に適用していけばいよい。ビジネスを完全にシャットダウンしなくたって、スーパースプレッドイベントを回避できるようにすればいいだけなのだ

例えば、今日、カリフォルニア州が独立記念日で大規模なイベントを中止したように、各個人もバーやクラブに行って騒いだりしない。パーティに人を招いて騒いだりもしない。それだけでいい。

人々が集まるのをやめて、すいている場所でのんびりリラックして過ごすだけで、たくさんのスーパースプレッド現象を回避することができる。ただ、それだけのことなのに、なぜか、毎日のようにマスクをしない人々が、シャットダウンしてしまったバーの代わりにレストランに集っているニュース映像が流れる。

教会に行かなくても、賛美歌を歌わなくても神様は人々を見放したりはしない。ミュージカルやコンサートをテレビやネットで見るのは、確かにシアターで見るのとは全然違うけれど、だらだらリラックしながら好きなものを飲んだり食べたりし放題だ。ジムもいいけれど、中継のエクササイズクラスなら少しぐらいサボっててもインストラクターに叱られない。

人々はそんなにストイックじゃなくてもいい。遊ぶことにすらストイックすぎる米国の人々にリラックスする方法を教えてあげたいと思うことがある。混在した人混みもなければ、他人の目を気にすることもない。何も特別じゃないけれど、そんな静かなリラックスした休日も、大勢で笑い転げる休日と同じくらい豊かなんだ。

 

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