シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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麻痺する感覚(ロックダウン74日目・現時点の解除予定日まで残り3日)

*この日記でロックダウンと呼んでいる規制は正確にはShelter-in-PlaceまたはStay-at-Home(自宅避難)規制と呼ばれています。ロックダウンには広範囲の意味があり、緩い規制から厳しい規制にまで幅広く使われいます。

徐々に規制が緩和されるに従い、人々はNew Normalな日常に慣れてきている。ソーシャルディスタンスとマスクがNew Normalの象徴的アイテムであるが、それ以外にも在宅ワーク、オンラインスクールなどにも、人々は慣れてきた。もちろん、パンデミック前の世界の方がよかったけれど、New Normalだって慣れてしまえばどうってことない。環境の変化に柔軟に対応できた者が生き延びできた歴史を考えれば、これぐらいの環境の変化には人間は割と簡単に適応できるようだ。

ただし、慣れてしまっては困るNew Normalもある。毎日の死者の数だ。

ロックダウンが始まった頃は、感染者の数と死者の数に率直に恐怖を感じた。毎日、毎時間のように、ジョンズ・ホプキンス大学の新型コロナウイルス感染状況ダッシュボードを開いて、数値が刻一刻と上がっていくのを確認し、どこでどれだけの人間が犠牲になっているのかに不安を感じ、数値の上がる速度がとまってくれないだろうかと祈るような気持ちでブラウザのリフレッシュボタンをクリックしていた。

ところが、ある時点から人々はあまりデータを追わなくなった。周りの人の様子を見る限り、どうやらこれは私だけに起こっている現象ではないらしい。あれほど毎日のように追っていたデータにも、私たちは慣れてしまった。拡大速度が緩まず、どんどん増え続ける数字の動きにもだんだん慣れてきてしまった。

数字の桁はどんどんと増えていった。ニューヨークで一日700人ぐらい亡くなっていた時は、恐怖と悲しみと同情を感じていたのに、桁が大きくなるにつれて想像力がついていかなくなった。昨日、米国の累計死者数が10万人を突破したと聞いても、もうなんだかピンとこない。ひどいなと漠然と思うのだけれど、それを明確にビジョン化できない。データはただの数字になり、そこにある人々の痛みは想像されにくくなった。

今日も米国では1千人以上の人が亡くなっている。しかし、この国はとてつもなく広いので、この広大な土地のどこかで1千人と言われても、やっぱりピンとくるようでこない。しょうがないので、カリフォルニア州まで視界を狭めてみる。今日のカリフォルニア州の死者は74人だった。ここまできてやっと、亡くなった74人の苦しみと家族の悲しみが想像できる。

何を言いたいのかといえば、あまりにも長い間、データを繰り返し見ているうちに、感覚がすっかり麻痺してしまって、数字が大きければ大きいほど、対象範囲が広ければ広いほど、そのデータの持つ意味が正確に追えなくなってきた。この毎日の死亡者数はNew Normalなのだよと言われれば、うっかり受け入れてしまいそうだ。

いや、違う。これはNew Normalとして受け入れてはいけないものだ。亡くなる人はもちろんだが、その家族、そして助けようと奮闘する医療関係者たちのことを考えればNew Normalなので慣れましたとはいってはいけない。

もし大量の死亡者数をNew Normalですと受け入れてしまえば、人々は感染拡大を防止するための様々な習慣をやめてしまうかもしれない。実際、死亡者が少ない州では、全米の膨大な死者数を見たところでピンと来ない住人の間で、マスクもソーシャルディスタンスも守らない人が続出している。

新しい習慣には慣れてもいいけれど、ウィルスの感染者の数に慣れてはいけない。感染しても大丈夫だなんて思っていはいけない。なぜなら、私は感染しても症状が出ないかもしれないけれど、それがまわりまわって、20万目の犠牲者を生み出す日が将来くるかもしれないからだ。

 

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