シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

姉妹サイト「シリコンバレーをよむ」もぜひご訪問ください

個人と社会(規制緩和フェーズ2)

米国の南部及び西部を中心にものすごい勢いで伸びている感染者数が、一日3万人とか4万人とかありえないような数字を出し始めた。死者は今のところ一日3百人ペースで増えてはいないが、死者数の増加は感染者数の増加に遅れてやって来ることを考えれば今後の数字が恐ろしい。

一部では感染者数はテスト数が増えたからだという説も唱えられているが、感染者が急増しているアリゾナ、フロリダ、テキサスの統計データをみれば明らかなようにテスト数の増分に比例するよりもはるかに高いペースで感染者が増加している。データを見れば中学生ぐらいの数学のセンスがあれば誰でもわかるように、これはテスト数が増えているからではない。感染者が増えているのだ。

テスト数も急激に増えているカリフォルニアでは、ある程度感染者が増えてもおかしくないと思われていたが、ここ数日間の感染者数の急激な増加と、何よりも入院者数とICUの専有率の増加をみれば明らかなことだが、確実に感染者が増えている。

5月中旬に、段階を踏まずにあっさりと規制を緩和した南部の州では、感染者の増加が顕著で、とうとう規制の再強化が始まった。バーやジムの閉鎖、ビーチの閉鎖、場所によっては夜間外出禁止令まで出ている。ウィルスの拡大を甘く見ていた州には確実にツケがまわってきている。

カリフォルニアはむしろ規制緩和には慎重で、米国で最多人口の州であるため感染者数や死亡者数は多いが、人口比で見れば感染率も死亡率は低く、むしろ全州で比較した感染率と死亡率の順位は相当低い。しかし、それほど慎重に緩和を進めてきたカリフォルニアでさえも、感染拡大は避けられず、とうとういくつかの郡ではバーの閉鎖などの規制の再強化が始まった。

なぜあれだけ感染者を増やさないためのルールを慎重に定め規制緩和を進めてきたのに、これだけ多くの感染者が出るのか疑問に思っていたのだが、理由は簡単だ。規制を守らない人が多いのだ。アリゾナ、フロリダ、テキサスは規制そのものがゆるゆるだった。人々はマスクもしないで、ソーシャルディスタンスも保たずに、バーで騒いだり、家でパーティをしたりしていた。それが規制違反ではなかったのだ。カリフォルニアの場合、それらは全て規制違反だったのにも関わらず、規制を無視する人が多すぎた。だから、感染者が増えたのだ。

そして、これだけ明らかに感染が広がっているにも関わらず、南部の州や街では、まだマスクをせずに、ソーシャルディスタンスも保たずに、まるでパンデミック前のように暮らしている人がたくさんいる。専門家やメディアや主な政治家までが、マスクをするように推奨しているのに、マスクをしないで街をぶらつく人々や、マスクなしで買い物をしようとして入店を断られてキレる人たちの動画が毎日のようにアップロードされる。きっと、彼らは全てのニュースはでっち上げだと思っているのだろう。自分の身内が病院に運ばれるまで、信じないに違いない。

インタビューで感染に対して「はっきり言って怖くないわ」と話す若い女性が映っていたが、彼女は若いから自分は感染しても大丈夫だと思っている。しかし、感染した自分から広がっていくであろう感染先についての配慮は全く感じられない。つまり、社会についての配慮はない。そんなことは自分には関係ないと思っている。

そういう人たちが感染をどんどん拡大していくのが現在の米国の現状だ。米国よりも1ヶ月早く感染爆発したヨーロッパの国々が確実に感染を抑え込んでいるというのに、抑えるどころかどんどん広がっていく。ヨーローパの国々が先立って規制緩和を始めた時に、米国はそれをケーススタディにして、よりうまく規制緩和ができるはずだったのに、そのチャンスも逃してしまった。

米国は世界の人口の4%を保有しているが、感染者の25%を保有している。この数字だけでも、この国がいかに感染を抑えられていないかが明らかである。

この国は一体何が違うのか。

最初の大きな違いは、この国が実は一国のように見えて一国ではないところだ。米国はむしろ州が国のような位置付けで州政府は非常に大きな自治力を持っている。そのため、国全体で一丸となって何かを進めることは簡単ではない。

それでも、ヨーロッパを例にとれば、EU全体を見ても感染は押さえ込まれている。 EUを米国と見立て、各国を各州と見立てたとしても、米国の感染の拡大は EU の感染の押さえ込みに比べて、明らかに動きが違う。

次の大きな違いは、二大政党制により国が真っ二つに割れているところだ。この真っ二つの政党はあまりにも明確に割れ、かつ同じぐらいの勢力を持っているため、合意して何かをなすことは難しい。また、各州のリーダはそのどちらかの政党に属していて、自分の政党が支持する政策を実行できるために、同じ国にもかかわらず、半分の州の政策と残りの半分の州の政策が相反することが実際に行われる。ちなみにEUのほとんどの国は二大政党制ではない。

しかし、世界には他にも二大政党制の国はあるが、米国ほど感染を抑えきれていない国はない。だから、それは大きな理由であってもそれだけが理由ではないと思われる。

次に考えられる違いは、政策や思想が違っていても、非常事態においてはそういうものを超越して考えなくてはならないことがあると多くの人々が理解していないことだ。

米国はそれほど昔ではない時代、南北戦争のように、政策や思想の違いを死を覚悟して争ってきた国だ。非常事態が起こるたびに、戦争や弾劾や衝突でたくさんの犠牲者が出る。歴史上、様々な間違いを犯し、間違いに気づいて学び、少しづつ少しづつ国としての歩みを進めてきた米国は未だ若い国で、何に最も重要な価値を置くのかが定まっていない。

世界の多くの国は、人の命を最も重要な価値とする。米国には、そういう人もいるが、そうでない人もいる。命よりも、思想や自由の方が重要だと判断する人たちもたくさんいるのだ。

ここで大きなポイントなのは、彼らにとって大切なのは「個人」の思想や自由だ。自分の思想や自由は決して社会の犠牲になってはならないのである。そういう人たちにとっては、たとえ社会で何万人の命が犠牲になっても、個人の思想と自由は守らなければならないものなのだ。

個人の思想と自由を尊重するのは、米国の素晴らしいところだ。しかし、それが行き過ぎてしまうと、社会を崩壊させてしまう。個人主義は安定した社会の上に立ってこそ輝くもので、不安定な社会の上ではストレスと軋轢と緊張を生み出し、社会を混迷させてしまう。米国はそのバランスを絶妙にとれているときは強い国だが、そのバランスを崩してしまうと国として成り立たせることすら難しくなってしまう。

個人の思想や自由も崇高で正当な理由がなければ、ただの我儘だ。中身を無くした超個人主義が行きついた姿がそこにはある。

PVアクセスランキング にほんブログ村