シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

姉妹サイト「シリコンバレーをよむ」もぜひご訪問ください

デモと感染(規制緩和フェーズ2・次の緩和レベルまで残り2日)

ミネアポリスを発端にした米国の抗議行動は収まるところを知らず、すでに8日目に入った。全米の様々な年で様々なスタイルのデモンストレーションが行われていることは、昨日書いた通りだが、ニュースで報告される各都市でのデモの様子の写真や動画をみると、どうしても考えてしまうのは、感染のリスクである

何しろ2ヶ月半のロックダウンの間、感染のリスクを最重要事項と捉えて暮らしてきたのだから、何を見るときも、その視点でみてしまう。

デモの初期は、マスクをしていない参加者も結構いたような気がするのだが、日が進むにつれてほとんどの人がマスクをしている映像が増えた。これは、もちろん感染リスクを考えた行動だと思うのだが、同時に警察や機動隊が使う催涙ガスやペッパースプレーからの保護の役割もあるような気がする。デモ隊は皆、様々なマスクをして、時にはマスクにスローガンを書いたりして、抗議行動を続けている。同様に警察の方は顔全体を保護するヘルメットをつけている場合がほとんどなので、フェイスカバーという点では、悪い状態ではない。

しかし、ソーシャルディスタンスという点では相当問題がある。デモ隊はぎゅうぎゅうに並んで集まったり、行進したりしている。どう考えても2メートル弱離れるのは無理だ。その上、デモ隊同士はハグをしたり握手をする。それどころか、デモ隊に共感する警察隊もデモ隊にハグをしたり握手をしたりハイファイブをしたりする。

最悪な場面は、デモ隊と警察隊の小競り合いが発生したときだ。揉みあいになったり、催涙ガスやペッパースプレーが使われることになると、ガスやスプレーを浴びたデモ隊はお互いに抱き合いながら助け合って逃げたりする。もちろん、涙を流した顔をぬぐいながらである。確実に感染が広がるような気がする。

米国で歴史的に根が深い人種差別を今度こそ正そうという大ムーブメントが起こっている時に、感染拡大のリスクについて問うのは野暮なのだということはわかっている。わかっているけれど、このウィルスは10万人以上の米国人をすでに殺してことも忘れてはならない。野暮でもなんでも、軽くみるのは危険だ。

デモに参加している人は若者が多い。ロックダウンで学校が休みになってしまった学生や仕事を失ってしまった若者も多いだろう。そんな彼らのフラストレーションや溢れるエネルギーと今回の抗議行動は、その時期がぴったりと重なってしまった。若者の感染は比較的症状が軽いことが多いし、無症状のまま終わってしまうこともあるので、ウィルスがデモ隊や保安部隊で広がったとしても、彼ら自身は大丈夫なのかもしれない。しかし彼らが1日の抗議行動や勤務を終えて、家に帰って家族と過ごすとしたらどうだろう。

デモの参加者は数百人、特には数千人にもおよぶ。今の状況を見れば、この中からクラスターが発生したとしても誰も驚かない。そんなことは彼らも知っているけれど、それでも彼らの怒りと正義感はとどまるところを知らないのだ。

「私は正しいことがしたい!そして、この場にいることが私にできる正しいことだから、私はここにいる!」と、抗議集会に参加しいてた若い女性がインタビューに答えていた。多分、その場にいる人々は皆そう思っているはずだ。『米国の人間性を問う重要な時に自分の感染のことなど考えていられない』と感じているのだろう。

ところで、今回の感染の死亡者は、人口比に対して不自然なほどアフリカ系アメリカ人が多い。その原因は、彼らの社会的立場の弱さである。彼らは工場やサービス業のような、出勤しなければいけない仕事をしていることが多い。労働環境が悪いところで働いていくことも多い。公共交通機関を利用していることも多い。収入が少ないが故に、健康リスクを持っていることが多く、治療費が高額な医療をなかなか受けに行こうとしない。

彼らは、どちらの角度からみても、米国における徹底的な社会的弱者なのだ。

米国はパンデミックでもデモンストレーションでも苦悩の真っ只中だ。どうか、このデモの結果、大規模なクラスタが発生することにより感染が拡大し、周り回って結果的に社会的弱者が再び苦しむことにならないようにと、ただ祈るばかりだ。

PVアクセスランキング にほんブログ村