シリコンバレーロックダウン後日記

起点はシリコンバレーがロックダウンされた2020年3月。2021年6月、シリコンバレーのロックダウンが解除されてから、シリコンバレーと世界がどのように回復に向かっていくのかを日記に記録してみようと思う。

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リスクを恐れぬ者たち(ロックダウン49日目・現時点の解除予定日まで残り28日)

*この日記でロックダウンと呼んでいる規制は正確にはShelter-in-PlaceまたはStay-at-Home(自宅避難)規制と呼ばれています。ロックダウンには広範囲の意味があり、緩い規制から厳しい規制にまで幅広く使われいます。

素晴らしい天気の週末だった。気温はパーフェクト、カリフォルニアらしい明るい太陽光に満ちていた。どの家の庭の薔薇も今がピークで、溢れる大輪の薔薇やこぼれ落ちる蔓薔薇が郊外の住宅地に高貴な香りを漂わせている文句なしの5月の週末だった。

スクリーン越しに見る海も新緑の溢れる公園も美しく、人々が家の中から出てきてしまうのに十分な誘惑が揃っていた。ビーチを散歩する人、公園にピクニックシートを敷いて寝転ぶ人がスクリーンに映る。その近くでは、人々が行き過ぎた行動をしないようにと警察が見張っていた。

ニューサム知事が言っていたように、ウィルスは週末だからといって休まない、天気がどんなに素晴らしくビーチが美しくてもウィルスは休まない。

それでも、警察の指示にしたがって、自宅の近くでアウトドアを楽しんでいる人たちはかまわない。最近、多くの人たちを不安にさせているのは、ロックダウン規制の緩和を求める、たくさんの野外抗議集会やデモだ。全米のあちらこちらで「自由」を求める人々が、国旗を掲げロックダウン解除のための抗議集会を行なっている。彼らは互いに非常に接近していてソーシャルディスタンスを守っている気配がないし、マスクもしていない。大きな声で抗議を叫ぶことで周囲に唾を飛ばしている。感染防止の視点から見れば、素人にも非常に危険な行動を取っていることは明白だ。

ファウチ博士と並び、科学的見地から落ち着いた意見を述べ続ける連邦政府のウィルス対策グループのメンバーとして認知度の高いビークス博士は、抗議集会の様子についてニュース番組で語っていた。「個人的には非常に心配です。彼らがあの後家に帰り、年配で慢性疾患のある祖父や祖母に感染させて最悪の結果を招いた場合、彼らは一生罪悪感に悩まされるのではないでしょうか。

私は最初このような抗議者たちの映像を見て、ただただ呆れていた。感染者が爆発的に増えなくなっただけで決して減っているわけではない今、ロックダウンを解除すれば、感染者も死者も再び増える方向に傾くことは容易に想像できる。たとえ、犠牲になるのが国民のたったの1%以下だったとしても、人数にすれば莫大な命が失われていく。そのリスクについてこの抗議者達は一体どう思っているのだろうと。

ところが、米国の歴史のドキュメンタリーをみた後、彼らにたいする印象が少し変わった。米国の歴史は独特だ。米国は抗議をする人々(プロテスタント)が生み出した国である。信仰の自由を目指した人々が海を渡って国を始めた。その後、英国からの独立は、英国の支配に対する抗議集会から始まった。南北戦争は、奴隷制度に反対する北部の州からの抗議と、奴隷制度反対主義者のリンカーンが南部の票を一票も得なかったにも関わらず大統領に選出されたことに対する南部の抗議がその発端である。また、米国の精神的主柱である西部に国を広げたパイオニアたちも、自由な土地を求めて様々な危険に命をかけて西部開拓を推し進めた。米国に置ける重要な歴史的事項のどれにおいても、人々は強制されたのではなく自らその道を選択し、その道を進むために、常にたくさんの人間が死んだのである。米国の歴史は、まさに高いリスクを払ってでも自由意思を手に入れようとした人たちの歴史なのだ。

その観点から見たとき、ロックダウンに対するこれらの抗議集会も、リスクをとることを恐れない人たちならではの行動のような気がしてきた。彼らにとっては、たぶん一部の人間の生命のリスクでさえ、社会的自由の犠牲になるのであればやむを得ないと、考えられているのではないだろうか。米国の歴史は、自分や家族の命が惜しければ取らなかったであろう行動の連続だ。自由とより良い生活を守るために一定のリスクをとることは、一部の米国民にとっては至って正しい行動なのかも知れない。

もちろん、米国民の全てがそういう考えを持っているわけではなく、社会的弱者にリスクを押し付ける結果になってしまうことを認められない米国人も多い。また、科学的見地から今、中途半端な状態でロックダウンを緩和することにより、再び感染の波に襲われ、今よりも大きな経済的打撃を受けるかもしれないという懸念を持つ人も多い。しかし、これらの懸念も米国の「保守的なリスクテイカー(リスクを甘んじて受ける人)」にとっては意味を持たないだろう。

このように、全く異なる意見をもつ人々が、それぞれ自分の信じることを行おうとすることで、米国という国は成り立っているのだ。それは、歴史が長く成熟した社会を持つヨーロッパやアジアの国々から見ると、理解しがたい幼稚で傲慢で愚かな行動のように見えることもあるだろう。しかし、内側からみる米国はそんなに単純ではない。そこには長い人類史の一部のような歴史のある国とは違って、世界各国から寄せ集められた人民によって短い時間でダイナミックに建国された国独特の苦悩がある。

ウィルスにより父親を亡くした女性がインタビューに答えていた。

「抗議集会に参加してウィルスに感染し、家に帰って父親を感染させて、父親を亡くしたら、あなた達は今の私が味わっている苦しみと悲しみを味わうことになるんです。ただ家にいて!そんなに難しくないはずよ!」

泣きながら叫んでいる彼女の声も、「個人の自由」の保護に熱くなったリスクテイカーたちには届かない。

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